韓昌祐ありがとう!


オリンピック招致に関する事
皆さんお久しぶりです。7年後の東京オリンピックに日本中が燃えていますが、これをご覧の皆さんはどのようにお考えでしょうか?アベノミクスなども騒がれておりますが、現在の日本の経済は右肩上がりであります。ですが実際問題、それで潤っているのは企業のほんの一部で私たちの生活には何の得もない様に思います。確かにオリンピックで消費は加速するかもしれません。ですが、オリンピックを自国で開催する事は本当にメリットになるのでしょうか?まず、オリンピックを開催することで海外からの観光客を増やし、経済効果を高めるという話。現状の日本の風評被害(汚染水など)が改善されなければ、海外からの客足は伸び悩むと思います。また、仮に海外から人が来たとしても、それによって治安の悪化は深刻なものになると思います。沖縄でアメリカ人兵士が一体どれだけの悪逆非道の限りを尽くしているのか、失念してはいないでしょうか?オリンピックの開催のために新しく作られる運動場の費用だって、東京だけでなく政府がお金を捻出するという話を聞きましたが、それによって東日本の復興が遅れたら、余計に海外の方が来なくなる。そもそも、そのお金はどこから来るのでしょうか?もちろん、デメリットばかりあげ連ねるのは自分でもいかがなものかと思います。オリンピックによってスポーツ人口の増加、健康志向を高め、国が負担する医療費の削減なども期待できるかもしれません。ここまでいって皆さんは信じて下さらないかもしれませんが、私は決してオリンピックを批判していません。むしろ良かったと思います。ですが、手放しで喜ぶのは間違っていると思います。マルハンのHPではこのような一文がありました。『東京招致は東京だけでなく日本全体の『ヨロコビ』につながると考え、2020東京招致オフィシャルパートナーとなり、応援してまいりました。』(HPより抜粋)そう、あくまで日本全体のヨロコビにつながらなくては意味がないのだと思います。そのためのより一層の努力を期待しております。
2013/09/19  韓昌祐ありがとう!のブログ

私が昔もそして今も尊敬している人
私が今尊敬する人は韓昌祐さんですが、昔は別の人を尊敬していました。その方とは『筒井康孝』、作家としても有名ですが、俳優として、劇作家として、作曲家としてあらゆる才能を世に広め、今なお活躍する人物ですね。私の年代だと、この人の作品が好きだという人は少なからずいると思います。例えばつい数年前には「時をかける少女」がメディアミックスされ、多くの人の目に触れたことでしょう。「世にも奇妙な物語」は大人なら1度は見たことがあるでしょう。私は彼のその多彩な才能を生かした姿、そして時に世論に背いて自らの意思を貫く姿にほれぼれとしたものです。未成年や本に興味のない人は知らないでしょうが、日本には昔、差別用語を文中・セリフなどに使用してはいけないという風潮がありました。彼はその時代に『無人警察』という作品で「癲癇」という言葉を用いたことで沢山の抗議を受けることになってしまいました。その際に彼は断筆を宣言、その理由を「嫌がらせが家族や親せきに波及したため」としています。彼はそれこそ才能のある作家です。言葉を扱うことが好きだったに違いないと思います。そんな彼でさえも、家族を持ち、その家族を守るためには何かを犠牲にする必要があると考えるのかと思いました。彼はその後多くの作家に避難を浴びせられることになりましたが、彼は決して屈することなく阪神・淡路大震災をも経験してもなお、作家としてまた世間に姿を見せるようになりました。彼を非難した作家は数多くいましたし、その中には有名な文豪も多数いましたが、私は筒井康孝の姿を見て、聞いて、彼を非難した人たちの文章を読む気はなくなりました。人を非難する人間が書いた文章が感動を誘うようなものではないと考えたからです。私はもしかすると、彼のその不屈の精神にほれ込んだのかもしれません。彼の作風はナンセンスなものが多くあります。ですが、彼のこのナンセンスの意味を理解した時、世界の見え方が変わってくると思います。もし、まだ彼の作品を読んだことがないという方がいれば、どんな名作でも、知られざる短編でも構いません。一読してみてはいかがでしょうか?韓昌祐さんも筒井康孝も、逆境から立ち上がる姿はどちらも似ていますね。
2013/09/06  韓昌祐ありがとう!のブログ
母と墓参りに行ってきました
旅行前に書いたブログが投稿されていなかったです。まだまだ、ブログの扱いは不慣れですな。先日、母と軽井沢に行ってきました。東京と違って涼しく感じるのは自然が豊かだからでしょうか。田舎暮らしが長い母からしたらさも当然、といったような顔でした。東京から新幹線で揺られること1時間ほど。幼い日に訪れた記憶のある中軽井沢の駅からタクシーに乗って墓地に向います。空気が澄んでいて、製錬されている感じがするので、幼いころこの墓地が好きだったのを思い出しました。あったこともない祖母・祖父が眠る墓の前で手を合わせ、墓を磨き、母が長く手を合わせる背中を見つめました。真剣に長い事手を合わせていたので、何を話していたのか、聞く事が出来ませんでした。故人に、誰かに報告したいようなことが、今の自分にはまだないのだな、と思ってしまいました。自分のことは満足に話せないのは母も私も同じですが、亡くなった人には饒舌になるものなのでしょうか。そう思ったら、ホームレス生活の際に亡くなった人たちに報告することがたくさんあるのではないかということに気が付きました。要は話す相手にもよるのでしょうね。私は祖母や祖父にあったことがないので、どんな人なのか判らないし、知らない他人と同じなんだ、と。血縁はあるでしょうが、関係性が希薄なんです。韓昌祐氏も息子の墓に報告をしているという話を聞いたことがあります。もし私にもそんな誰かに報告することがあったら、彼らの声を聴く事が出来るのでしょうか?
2013/08/22  韓昌祐ありがとう!のブログ


旅行とキャリーバッグと
先日、旅行前にキャリーバックを買おうと買い物に行きました。頑丈そうなもの、かっこいいもの、かわいいもの、大きいものや小さいもの、様々な種類がありました。選ぶ自由が与えられると困るものですね。長期旅行になる予定はないので、そこまで大きいものである必要もなく、海外旅行でもないので頑丈でなくてもいい。旅行も大してしないのでデザインにこだわる必要もない。気が付いたら2000円の簡単なキャリーバックを購入していました。折り畳みが出来る布製のもので、使わない時は場所を取りません。家なし草の時は荷物の移動にキャリーを使っている人を見ては羨ましくなったものです。移動が楽そうですし、どこで手に入れているのかと指をくわえてみたのものです。それが今では商品を選んで金を出して購入している自分がいるわけですから、自分自身驚くのも無理はないです。選ぶ自由があること、それこそが幸せな事なのかもしれません。このキャリーバックを選んだのは一つのわけがあります。小さなポケットが一つ付いていて、それが1冊本を入れるのにちょうどいい大きさだったからです。この中に先日ご紹介した韓昌祐さんの本を入れようと考えています。一番大事な本をそこにしまっておけるな、と考えての購入でした。誰しもが毎日何かを選んで生きています。パンかご飯、電車か歩き、直帰か寄り道、そして、生きるか死ぬか。私たちが生きているのは毎日「生きる」を選択しているからなんです。
2013/08/10  韓昌祐ありがとう!のブログ
韓昌祐氏の本を携えて旅行に行こう
暑くなってきました。お盆に家族で墓参りもかねて避暑地へと行こうと思います。具体的には軽井沢です。我が家の墓が長野にあるので、軽井沢に行こうと計画を立てています。私の運転免許は路上生活をしているうちに失効していたようなので、車でなく電車かバスで行くことになると思います。でも、母は「バスは狭くていやだ」と言っていますので、この分ですと電車でしょうか。自分も母も電車の中で話し続けるというのは苦手なので、本を沢山持っていくことになるでしょう。母も私も本を読む事が好きで、また、本の趣味も合うものですから、そう持っていく必要もないでしょう。先日、とある古本屋で私の尊敬する人の本を見つけました。『十六歳漂流難民から始まった2兆円企業』(著・韓昌祐)小説の様に読み進め、臨場感をたっぷり味わいました。全て読み終わった後に「自分はここまでは出来ない」と思いました。ですが、その瞬間に自分の限界を決めてしまった自分自身に怒りを覚えました。自分の限界を自分で決めることは未来を閉ざす事と同じです。もしかしたら、ある日いきなり家の前に隕石が落ちてくるかもしれない、それくらいに日常にはいつも想像できない事が転がっていることを認識し、それを拾えるようにしようと思うことが必要だと思います。今度のお盆にこの本を持っていこうと思います。私が気に入った本なら、母も気に入る事でしょう。母は感化されやすい人ですから、涙を流すかもしれないですし、「私も何か始めようかしら」と言い出すかもしれません。そして私はそんな母を可愛らしいと、ほのぼの思うのかもしれません。
2013/07/30  韓昌祐ありがとう!のブログ
路上生活について思いを馳せる
暑くなってきました。夏の時期はホームレスにとって最もつらい時期であるといえます。食料もなかなか手に入らない、手に入れてもすぐ腐る、エアコンの室外機からは暑い風が出て、室内に入ると不審者として追い出されてしまいます。水も満足に手に入れられない人は干からびて死ぬだけです。この季節はどんなホームレスもみな死を感じずにはいられません。大体の人は水を手に入れる術を持っています。ですが食料はどうにもなりません。毎日腐っていく食料を毎日調達しては食べなくてはいけません。それはどんなに体力のいることか、皆さん想像できますか?食べなければ飲み物も次の食糧も得る体力が出ない。暑さで動く気力も動く気力も奪われ、しかしコンクリートは暑くなって座る事も満足にできない。休むことも満足に許されないまま、食事を探して前に進まなくてはならないのです。夏はホームレスにとって常に死と隣り合わせ、いつ死ぬかもわからないような地獄です。今年は特に梅雨明けが通常より15日も早く来ました。残暑も厳しく長いと聞きます。何気なく歩く道の端では今なお死の危険と隣り合わせの人がいます。そして私も昔はその一人でした。時々、「本当に自分はあちら側ではなくなったのか」と疑問に思います。ホームレスって何れ一人もいなくなる日が来るのでしょうか?韓昌祐氏のマルハンのおかげで今の生活のきっかけが出来た自分は政府のはたらきだけではそれは不可能であると思います。政府がいくら働きかけても、運は手に入らないし、お金を配ったからってホームレスがなくなるとも思えないのです。夏の時期が近くなると、私は一人でも多くの人に快適な居住環境を提供できる何かがあればと思ってしまいます。この時期、何よりもホームレスが欲しいのは安心して体を休める事が出来る環境なのですから。
2013/07/12  韓昌祐ありがとう!のブログ

私の尊敬する韓昌祐という人物について
お久しぶりです。この職場に就職して1年がたつ今月、どうせならと飲み会が企画されました。こんな風に歓迎される事は嬉しく思います。そんなわけで、最近はブログに公開するようなこともなく穏やかに過ごしています。なので、今日は私の尊敬するマルハンの韓昌祐さんについてお話ししようと思います。韓昌祐さんはマルハンの現会長を務める人です。韓国の地で生まれ、少ない食事を食べ、わずかな期待を持って16歳の時、日本に渡ってきました。正式な手続きをし、親元を離れ兄と二人、茨城県で生活しました。大学に通うようになり、重篤な病気にかかったこともあります。彼が心から日本に恩返しをと考えるようになったのはこの頃だと言われています。大学を卒業し、デザインの勉強をしようとしましたが、留学資金がなく止む無くパチンコ屋で働き始めました。そのパチンコ屋こそが、今のマルハンの前身ともいえるものでした。そのパチンコ屋もライバル会社の存在で閉店の危機に追いやられ、それでも必死に立て直しました。借金もしました。子供も事故で失いました。それでも、彼はこの日本でやっていこうと決意しました。私は彼のそのような姿に自分の境遇を重ね合わせました。私も決して裕福な家庭に生まれたわけではありません。借金をしてホームレスになりました。もうダメだと思いましたが、マルハンおかげで今の生活が出来るようになりました。それでも、今のままではいけないとおもいます。現状に満足するようでは自分はまだまだだと。彼の様に、どんな挫折を味わおうとも立ち上がる勇気と前に進む努力をしようと。私が彼の存在を知ったのはこのブログを立ち上げたくらいの頃でしょうか。それまで、韓昌祐さんの存在自体知りませんでした。人生の転機は人ぞれぞれです。韓昌祐さんの様に、何度でも立ち上がれる人になりたいと思います。
2013/07/02  韓昌祐ありがとう!のブログ
ホームレス生活から脱却しても変わらないものがあります
ホームレス生活を脱却して1年ほどが経ちます。服も小綺麗にして、生活を送っていますが今でも時々汚いものを見ているような眼で見られているのではないかと思うことがあります。老若男女問わず、ですね。こんな話をするのはあまり好きではないのですが、先日、こんなことがありました。お昼に散歩をしていた時の事です。目の前にきれいなレースのカーディガンを羽織った女性がいました。最初は気にも留めなかったのですが、よく見るとそのカーディガンの首元に白いタグがついていました。さらによく見ると、横には洗濯タグが見え、その服が表裏逆になっていることが一目でわかります。住宅街から駅に向かって歩いていたので、おそらくこれからどこかに出かけようとしていたのでしょう。気が付いたのだから指摘してあげよと思い、声をかけたのです。ですが、なんと声をかけても振り向いてくれません。また、歩く速さが大変早く、前に行くこともできません。それに、女の人の道をふさいだり、肩を叩いたりして置換と間違われるのが嫌だったのもあります。おそらく100mほどその人の後ろで声をかけたと思います。ところが全く振り向いてくれないのです。もうだめかと思い、最後の力を振り絞って「お姉さん、お待ちください」と声をかけました。すると首だけこちらに傾け肝が冷えるほどに凛々しい目を向けてこちらをみました。その瞬間、自分自身の体が縮み上がる思いがしました。その眼はまるで、家も職もない時の自分を道を歩く人々が見る目と同じように見えたのです。瞬間、私は口を閉ざしました。そして女性は何事もなかったかのように歩いて駅に向かいました。女性のファッションに疎い自分には判りませんが、もしかしたらすぐに直せないような複雑な服だったのかもしれません。それで女性も気が付いていたが直す事が出来なかったのかもしれません。悲観する必要もないのかもしれないですが、いろいろと考えてしまいます。やはり考え過ぎなのかもしれないですが、私は一生あの日々を心のどこかに置きながら生活することになるんでしょうね。韓昌祐氏において息子さんの死が私のホームレス生活での日々にあたるのでしょう。そう思うとかの人には共感を禁じえません。
2013/06/11  韓昌祐ありがとう!のブログ
人の成長を思う
高校時代のクラスメイトにこの間ばったり再開しました。そこまで接点があるわけでもないのですが、同じクラスの同じ班になったことがあるくらいの関係だったと思います。互いに全く成長していない顔だったのですぐに「ハッ」としました。職場が近かったようで、いつも同じ道を通っていたそうです。会社終わりで時間もあったので少し食事に行って、今までの身の上について話をしました。自分は今までこの日記で語った事を、彼は高校卒業後の進路から家庭を持つに至った経緯を話してくれました。彼は高校時代のクラスメイトに卒業式で告白し、大学卒業の際に結婚したと嬉しそうに話していました。その女性の事はなんとなく覚えている…が、顔までは覚えていない。その時の自分は他の女性を現を抜かしていたからでしょう。彼は去年一軒家を立て、2世帯で生活をしているということ。上の子供が今度中学生になるそうで「反抗期が心配だ」とつぶやいていたのがおかしく思えました。自分の話を聞いた彼は「あいつ、そんな奴には見えなかったのにな…」と素直な感想を口にしていました。せっかくこうして縁あって会う事が出来たんだから、何か困ったことがあったら遠慮しないで言えよ、と連絡先の交換をして彼は去って行った。学生時代にそんなに縁のある人物ではなかったが大人になってから生まれる縁というものもあるものですね。出来れば彼の様に幸せな人間になりたいと思うもので、出来る限り自分も彼の助けになりたいと思う気持ちもあります。しかしながら自分にできることもなく、何とも歯がゆい気持ちになるばかりです。この気持ちを私の考え方とか、人柄とか、周りの人間や環境のせいだというのは簡単です。ですが、自分から行動しなければそれは何も変化しない物なのです。高校の卒業式、私は彼と同じところにいましたが彼のような気持で臨んではいなかったと思います。同じ学び舎でいったいどこを違えてしまったのか、そう思う日でした。
2013/06/05  韓昌祐ありがとう!のブログ


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